2021.05.11

徳島新聞で「なると金時」苗、植えつけの最盛期を迎えていると知った。これは見に行かねばと思った。
もちろん上のサイトで見えるドローンでの鳥瞰のように全体を見ることはできないが、どのような規模で生産されているのか、知りたいと思った。

サツマイモ(以下本ページでは単に「芋」という)には思い出がある。
私の子供時代、とりあえず常時ハラが減っていた。食糧が潤沢でなかった。「脱脂粉乳」など、どの年代まで知っているのだろう。おそろしくマズイものだったが、それでも飲んだ。白米ご飯など、めったに食べられなかった。「芋」を度々主食にした。その話を娘にしたとき、「いいなあ!」といわれたのにはアングリした。違う世代が理解し合うのは、ほとんど不可能である。
私が子供時代の「芋」は、それ自体、あまり旨いものでなかった。今のような甘みもなかった。中に一種類、飴系というか、ホクホクとはまったく違う、びちゃっとした水飴のような芋があった。それは旨かった。今もそういう系統はあるのだろうか。
自宅の狭い庭でも芋は植えていた。学校の実習にもあった。親芋から蔓をとり、それをある長さに切って植えつける。芋は旺盛に育つ。しかしできた芋はさほどおいしくなかった。
その後50歳ころまで、私は芋を食わなかった。「一生分食ってしまった」と妻にも言った。見たくもなかったと言っていい。

それがどういうきっかけだったのか、妻のつくった天ぷらをふっと食ったときのような気がするが、その旨さに驚嘆した。それは私の知っている「芋」とはまったくの別物だった。それが「なると金時」だったかどうかは分からない。(「なると金時」だった確率は5割以上と思う)。いずれにせよサツマイモの世界で、劇的な品種改良が行われたと想像する。Wikipediaによれば、なると金時は、「昭和50(1975)年代に徳島県に導入された『土佐紅』『坂出金時』から選抜育成された。」とある。「なると金時」の公式解説ページがある。

(最近私が食べた「なると金時」)(サラダ油で焼く)


(グリルする前)



さて、現地の様子である。

広大だ。



これは植えつけたばかりの苗で、これからの陽光を浴びて急速に蔓をのばし、地中に芋を形成する。



芋畑は海(紀伊水道)に隣接している。



堤防の東(画面左)は海で、この地(右)は旧吉野川の河口になる。芋にとって理想的な砂地だ。



この辺りが鳴門市、大津町・里浦町なると金時栽培地域の北限ではないかと思う。(確かではない)

この画像の背後が山で、「ぼら山(標高58m)」というらしい。頂上に大磯埼灯台がある。
ここへ来るまでに相当狭い道があって、木や草がはみ出していた。引っ返す旋回の道幅がなく、分かっていて直進するしかなかった。ぞりぞり音がした。多少広い場所に出て外に出てみると、車の左側面は、へっこみはなかったが全面的に引っかき傷ができていた。年甲斐もなく恥ずかしいが、直進する性分は80手前でもかわらない。「三つ子の魂百まで」というが、私はまだ80だ。

紀伊水道を航行する船がみえる。


新芋のできるのが待ち遠しい。たのしみだ。
皆さま、「なると金時」は、おいしいですよ。
    
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