私が岡本三千代さん(先生といわず「さん」で呼ばせていただく)を知ったのは、20年も前になるだろう。万葉集とはまったく関係のない会合だったが、話の中で私が万葉学者・犬養孝先生の『万葉の旅』の愛読者であること、CD版『万葉の心』全10巻の愛聴者であることを話した。そこで岡本さんが犬養先生の愛弟子であることを知った。更には犬養先生と私の誕生日が同じ(4月1日)であること、阪神タイガースのファンであること、その他の共通点のあることを知り、直ちに親しくなった。その後、岡本さんから、実に多くのことを教えていただいた。私の人生を豊かにして下さった恩人の一人である。
その岡本さんから「全国万葉協会」を、教わり入会した。
活動の中心が万葉ゆかりの地だったので、横浜住まいの私には参加の機会は少なかったが、「万葉ネット通信」でも、多くを勉強することができた。その全国万葉協会が昨年末解散した。冨田敏子会長はじめお世話して下さった方々の体力の問題だった。特に万葉ゆかりの地を訪ね歩き、解説することは、準備も含め、大変な労力を必要としただろう。私は「山辺の道」をこの会で知ったし、「かぎろひの丘」も知った。特に2015年8月30日の「足柄峠と足柄古道を歩く」は、妻と楽しく歩けた最後となった。
その直後9月4日、妻に、死に至る最初の徴候が出た。

犬養先生の教え子たちの犬養先生をしのぶ「若菜会」が、毎年先生のお誕生日4月1日に行われていた。「若菜」は犬養先生が敬愛した島崎藤村の「若菜集」に因んだものである。私は部外者だったが、今回は全国万葉協会も解散したし、コロナ禍もあったので、人数限定で誘いの案内があり、私は早くから申し込んでいた。「若菜会」の行事は午前中に「犬養万葉記念館」で行われ、私は午後から商工会館で開かれた講演会に参加した。私の主な目的は、久しぶりに岡本さんにお会いすることだった。
前日(27日)の午後は「山辺の道」、大神神社から檜原神社までを往復した。当日(28日)午前中は、「天武・持統の陵」「キトラ古墳」等を歩いた。小雨が降り始めていた。

3月27日に明日香村へ行くと決めたとき、私は直ちに吉野山とセットした。明日香から吉野へは17キロである。以前に吉野へ来たときは、桜はすでに盛りを過ぎていたのだった。
28日は3時過ぎに閉会になり、吉野へ向かった。途中で本降りになった。しかし吉野に着いた頃は、翌日の好天をつげる徴候があった。


(2021.03.28 17:57)

翌朝の夜明け
この日はちょうど「満月」で、夜明けの太陽とまん丸い月が、ほぼ同じ高度で並んでいる。

(2021.03.29 06:53)

[追記 2021.04.17]
昨夜半に目が醒めた。「お日さんとお月さんが並んで見えるとは、どういうことだろう?」
眠れなくなった。
私に天文的知識は皆無である。ただ月の満ち欠けは地球の影が月に映っていると理解している。ならば太陽と月の間に地球は在らねばならない。阿南市科学センター(天文台)へ問い合わせてみることにした。

 [件名] 教えて下さい(太陽と月の位置関係)
 3月29日の朝、櫻の吉野山から朝日を撮影しました。あとで気づくと、月が並んで写っていました。
 この日は満月の日でした。(写真)
 しかしよく考えてみると、不思議になりました。
 月の満ち欠けは「地球の影」の作用というのが私の乏しい知識です。
 このように太陽と月が並んで見えるのは、太陽、地球、月は、どのような位置関係にあるのでしょうか?
 太陽、月、地球の並びなら、月の地球側はむしろ日光の裏面になり、見えないように思います。
 教えて下されば幸いです。(79歳、男)

因みに「阿南市科学センター」は、拙宅から車で10分少々の場所にある。直に教えを乞いに行ってもいいのだが私は聴力欠落人間で、メールの方が理解できる。回答を頂ければここにアップする。

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(素晴らしい解説・ご回答をいただいた!
阿南市科学センター学芸員 天文学Ph.D.今村和義先生より、すばらしいお教えをいただいた。
小学生でも知っていることか知れないが、79になって知らなかったことを知り喜ぶことができるとは、なんと楽しいことだろう!(興奮状態)

=以下、全文=

2021/04/17 14:41、K. Imamuraのメール:
野村よし 様、

阿南市科学センターの今村と申します。このたびは表題の件につきまして、お問い合わせ頂き誠にありがとうございます。早速ですが、以下にご回答申し上げます:

朝日が美しく写っているお写真を拝見致しましたところ、太陽の右側に写っている白っぽい丸状のものですが、これは高い確率で「ゴースト」と呼ばれるものだと考えられます。太陽のような強い光源を撮影した場合、レンズ内での乱反射が原因で、このようなものが写ることがあります。

実際に撮影をされたとき、恐らく同様の位置に月は見えなかったと思いますがいかがでしょうか?ご指摘の通り、この日 (早朝) は満月にあたり、本来であれば、夜明け前に西の空で見えていたはずです。念のため、3/29の吉野町における日の出、月の入の時刻を調べてみると、日の出は 5:48、月の入は 6:13 でした。写真を撮影されたのが、6:53 となっておりますので、撮影時に月は西の地平線下に沈んでいたことになります。

ちなみに、満月の日、月・太陽・地球の位置関係は、宇宙から俯瞰するとしたら(一例として)、

太陽 - 地球 - 月

という順番に並ぶことになります。つまり、地球を挟んで太陽と月は正反対の位置関係になるので、満月の日に太陽と月が並んで見えることはまず起こりえないことになります。なお、月の満ち欠けについて、テレビ番組を作ったことがございますので、ご参考までに宜しければ以下より YouTubeでご覧ください。
https://youtu.be/7Tz3xUj-WRI

> 月の満ち欠けは「地球の影」の作用というのが私の乏しい知識です。

実は月の満ち欠けに「地球の影」は作用していません。ただし、地球の影が原因で月が欠けることがあります。それが「月食」です。今年は約3年ぶりに皆既月食が 5/26 にございますので、まさに月で「地球の影」を目の当たりにすることができます。

・当館で観察会も予定しています↓
http://ananscience.jp/science/tenmonkan/event.htm#202105lunarecl

・皆既月食に関するテレビ番組も過去に製作しました (YouTube)↓
https://youtu.be/MRpMgyDjaaQ

色々とご説明が長くなってしまいましたが、少しでも野村様のお役に立てば幸いでございます。また宇宙のことで何かございましたら、気軽にお問い合わせください。今後も阿南市科学センターのことをどうぞ宜しくお願い申し上げます☆

(なんで朝日と満月が並んで見えるんじゃと、夜中に眠れんようなった、それ自体はまともだったわけじゃわな。)

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「今年は(桜の開花が)早くて、枝垂桜はもう終わってしまった」と、宿屋のおかみさんにいわれた。その分、本来の桜は「盛り」ですと。

吉野山へは一度来たことがある。その時は、桜には遅かった。咲ききった最終段階だった。全山桜吹雪の直前だったともいえるだろう。いわば半端なときだったが、その時の私の目的は、桜でなかった。「壬申の乱」だった。大海人皇子(天武天皇)の事跡を訪ねてみたかった。

昨年私は横浜から古里徳島へ移住した。
横浜(&東京)に未練はあった。何よりも舞台だった。歌舞伎座及び国立劇場の、歌舞伎舞台は「全部」観ていた。新国立劇場のオペラとバレエも、「全部」観た。他に某交響楽団の数十年来の定期会員だった。仕事も少なくなった最後の10年近くは、舞台・コンサートホールへ年間100回以上、3日に1度は行っていた。そのせいか、耳が遠くなり、目が薄くなった。もういいだろうという天の判断だった。私も「潮時」を感じた。十分味わわせていただいた。
3月に国立劇場(小劇場)で菊之助が3役を演じる、通し狂言・『義経千本桜』が予定されていた。5月,6月,7月は海老蔵の十三代市川團十郎襲名公演があった。團十郎襲名公演は、これを私の舞台へのお別れとして見届け、さようなら、徳島へ移ろうと思っていた。
すべて、中止になってしまった。
お世話になった方々、友人、仕事仲間、それぞれにお別れの一献を傾けたかったが、叶わなかった。今の私は不思議な感覚で、まだ横浜に残っている私の部分がある。2020年がそのままで、2021年に移っていない。「けじめ」「区切り」がついていないのだ。

さて、義経千本桜ならぬ「吉野山千本桜]、たまたま歌舞伎情報誌「演劇界」2021年4月号に『義経千本桜』の考察があって、その中で、吉野山の桜についての文章がある。引用させていただく。
吉野の桜はソメイヨシノでなく、
「吉野の桜はシロヤマザクラという山桜であって、花は淡紅色ではなく純白である。それがあの全山なんともいえぬ淡紅色に染まるには二つの理由がある。一つは芽、もう一つは太陽光線である。花の開花と同時に芽が出る。この芽が燃える様な深紅である。その深紅の芽が純白の花に重なる。そこへ陽の光が差す。三つが一体になって、あの全山の淡紅色が鮮やかに、美しく燃え上がる。」(p.11)

更にこの演劇評論家・渡辺保氏の同文は、「吉野の桜は墓標だ」と記しているが、引用するには長いので控える。


(下の千本)



(中の千本)



(上の千本)


 那賀川野菊、そして北條民雄
  
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