2021.03.10
水が張られはじめた!
野焼き
 3月26日
私の家系は「百姓」である。(「百姓」は〝放送禁止用語〟だそうであるが、私は実際をしらない。私は10年近く、まともに「放送」を見も聞きもしていない。単純に「つまらない」からだ。つまらないとは、その尺度は、それに接した先とあとで自分が少しでもかしこくなっているか、ということである)
「百姓」を差別用語という人は、百姓に対する強い差別意識を持った人と思う。なぜなら、そうでなければ、そういう発想が出ない。私にとっては「思いの外」(考えられない)である。

父は長男(跡取り)でなかったこともあって、「職人」の道をえらんだ。
その道では第一級だったと思う。兄がそのあとを嗣いだ。兄はおそらく、わが国最高級の「職人」だった。
ところが末っ子の私はまったく不器用で、父も兄も酒は一滴も呑めなかったが、私は毎日必ず呑む。職人道具はまったく使えない。

であるが、私は「農業」を常に、もっとも未来的な仕事、と思ってきた。もし生まれ変わることがあり選べるなら、私は「百姓」を選ぶだろう。

あらゆる「科学技術」は、必然として、二面性を持っている。ダイナマイトも原子力も。
鉄鋼もそうだ。鉄がなければ、ほとんどの殺人器具はつくれない。鉄炮も原爆も、鉄がなければつくれない。
武力禁止、原子力反対、をいう人は、なぜ「製鉄反対」をいわないのか。包丁で人を殺すことはできるのだ。
「農業」は、そうでない。「人を生かそうとする」作業であり、技術である。それに携わるのが「百姓」だ。

私は子供時代から「田んぼ」が好きだった。周囲に田んぼがあった。通学は田んぼに囲まれた道だった。レンゲが咲いたしイナゴもいた。稲わらは暖かかった。敷きつめたわらは、最上のマットレスであり香りだった。

その「田んぼ」がすぐ裏にある。すばらしい場所へ引っ越してきたのだ。
よかった。


耕されている。最終の準備なのだろう。


折り返していく。





各区画の田に、1つ、もしくは広い区画では2つ、取水口と思えるものが、設置されている


このようなものである。


ポンプが設置されている。


水張りの始まっている区画もあった。





カラスがいっぱいいる。住宅団地内で見かけることはない。理由はわからないが、人間との距離感、のように思う。
都会のカラスはずうずうしいというか、もの怖じしない。


農業水路に鯉を発見した。今まで生きものをみなかったのでほっとした。鯉というのは泥水を平気なのだ。


メダカが群れていた。これも初めて見たので、安心した。


亀もいた。派手なアタマだ。何という種類だろう。

 
2021.03.14
田んぼに水が張られはじめた!


きれいだ!


うつくしい!


!!!


このあたりのカラス君は(都会とちがって)人をたよらず生きている。残飯あさりの下品なことはしない。
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野焼き 2021.03.19

この田では、おそらく水張りを控えてだろう、田の中のゴミが燃やされていた。
燃やされているのは去年の稲株の、稲の部分と想像する。

このように田んぼの端の方に固まっている。それを道路脇にあげて、焼いているのだと想像する。

「野焼き」というのは法律で禁止されたはずである。ダイオキシン騒ぎという、私の仕事上も大きな影響を受けた出来事があった。その過程で「焼却」を忌み嫌うよう叩き込まれた。学校から焼却炉は撤去された。
私たちの墓地では「法律により」、シキミを焼くことも、刈りとった草を焼くことも、禁止されている。それまであった焼却炉はここでも撤去されたらしい。
かつて、田んぼから煙が上るのは普通の風景だった。私は野焼きが好きだった。そしてその匂いも好きだった。






私は煙の匂いを楽しみながら、通って行った。
このちょっと先を右折すれば「昔日の土佐街道」に入り、立江寺に至る。そのように私は歩き、そして戻った。

ひと月ほど前には、このすぐ近くの山側の道路で、竹がひと山焼かれていた。ポンポンと豪快に節が破裂し、見飽きなかった。



セキレイと思うが、何セキレイなのか、私には識別できない。この辺りには非常に多い小鳥である。


焼かない人 2021.03.20



昨日焼かれていたのはやはり去年の稲株だった。
この人たちは野焼きしなかった。車に積んで、おそらく処理場へ持っていくのだろう。




作業しているのはおそらくご夫婦だった。
話しかけた。
「これは去年の稲株ですか?」

私は、稲の「根」は地中に残り、稲わらの刈りとられた残りが、いま「残渣」として集まっているのだと思った。
問いかけてみて、自分が聞きとり不能な人間であることを思いだした。(残念&悲痛)

ご主人は1つを持って、説明して下さった。
ご主人の説明では、根っこもついているのだった。(そう私は理解した)
この時期、根っこはもう地中にないのである(と私は理解した)。

「私は田んぼを見るのが好きです」
「水が張られ、鏡のようになった姿。稲が植えられたすぐの、まだ稲のあたまが水面に出ていない、うっすらとした緑、それがみるみる伸びて水と稲が半々になった時の緑、水がまったく見えなくなったときの緑、そして稲穂が出、稲穂が垂れていく、本当にキレイです。ただ私は、その時々の、なさっている作業の意味がわからない。知りたいです。教えてください」
「去年5月に引っ越してきました。もともと富岡の出身です。生まれは徳島市ですが大空襲で焼け出され、富岡で育ちました。西高を出て東京へ行き、就職は大阪の会社でしたが、転勤で結局東京、住まいは横浜でした。60年ぶりに徳島へもんてきました。田んぼを見るのが好きです。きれいだからです。ただ、作業の意味をしりたいです。教えてください」

奥さんも手を休めて、いろいろ話してくれた。聞こえないのが残念だ。これからは散歩にも補聴器必然だな。(補聴器をつけたから聞きとれるわけではないのだが)

いずれにせよ明らかに「知り合い」ができた。これから顔を合わすたび(補聴器をつけて)いろいろ教えて貰うぞ。

この辺りのタンポポは、ほとんど「日本タンポポ」のようである。それも嬉しい。



道端のスミレ。



 3月26日
いよいよ、の感じだ。


3月30日


黄砂がひどい。
いつもの山々が見えない。

私は27日から29日、大阪経由、奈良の明日香村での行事に参加し、吉野山の桜をみて、帰った。29日帰路、生駒山系の山々は霞んでおり、大阪神戸はビル群が影画になっていた。六甲の山々も、昔の最悪「スモッグ」状態だった。明石海峡大橋も霞んでいた。のみならず、淡路島そのものが霞んでいた。
徳島に入ったときはもう暗くなっていたが、同じ状態だっただろう。

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