11月3日、文化の日
この秋一番の好天



田んぼを散歩するとき正面に見える山。
この山を、好きだ。
中津峰山
標高773m


この山に向かって、私はいつも、映画[シェーン]を思い起こしている。



もちろん、グランド・ティトン(Grand Teton)ほどの高さも鋭利さもない。
しかし、いつも散歩の度、この山をみてシェーンを思い出す。

シェーンを見たのは中学か高校時代だろう。いずれにせよ60年以上前だ。
当時「富岡」(那賀郡富岡町、今は阿南市富岡町)には映画館が3軒あったと思う。シェーンを見たのは「大和座」だったと記憶する。他に「兄弟座(けいていざ)」というのがあった。もう1軒は思い出さない。「松竹座」だったかもしれない。
雨が降っていたと思う。当時の田舎の映画館は、雨の音は聞こえたし、全体にションベンくさかった。しかしいつも満員だった。

那賀郡富岡町といった。
いまの「阿南市富岡町」とは、エリアが違う。
私が育ったのは「那賀郡富岡町黒津地」である。今は「阿南市黒津地町」になっている。つまり「富岡町」が抜けている。それだけ「富岡町」のエリアが減った訳である。しかし「黒津地」の地名は残ったのだ。他の「字」地名も、私が記憶するものはすべて残されている。「富岡町」は「旧富岡町」の「芯」だけが残った。これはすばらしいことだった。
司馬遼太郎の『菜の花の沖』に「黒津地」は出てくる。私の最終も「黒津地墓地」である。

それにしても、歴史と先人の思い入れの詰まった地名を、私たちはどうして平気で棄てていったのだろう。
徳島県だけでざっとみても、「麻植(おえ)」という地名がある。
これについては天皇陛下代替わりの一度だけの儀式、「大嘗祭」でお召しになる「麁服」を調進した阿波忌部直系・三木信夫氏の言葉がある。
「(現在の吉野川市は麻を植える地域に由来する「麻植(おえ)郡」という名称だった。徳島の麻文化再興に向けて「麻植」の地名復活を提唱する)2004年に4町村合併で『麻植郡』が消滅した。これを後悔する人たちも増えている。兵庫県の篠山市が丹波篠山市への変更を問う住民投票が賛成多数で成立した例もある。麻農業が誇れる文化だと地域住民に浸透していけば、自然と地名を変えようという動きにつながってくるのではないかと期待している。」

「麻植郡」名称の由来  吉野川市、麻の生産復活を推進
(徳島新聞)麻植郡の名称は、古代に勢力を誇った阿波忌部氏が麻を植えて布を織り、天皇の即位儀礼・大嘗祭に「麁服(あらたえ)」を献上したことに由来するとされる。04年10月の4町村合併で吉野川市が誕生し、麻植郡は消滅した。

「丹生谷」という歴史と品格のある地域名も消えた。[資料]

わが阿南市は「合併前の名称を採用した新市町村」に入っている。だから「那賀川町」も「羽ノ浦町」も残った。そもそも原阿南市が出来たとき、(昭和33年、1958年5月市制施行、人口62,374人)、市名は新しくなったが旧地名は残された。これはすばらしいことだったと思う。「黒津地」も「黒津地町」として残った。

いつも苦笑いしながら見るのは、幹線道路の道路標識に度々旧地名が示されていることである。(これからは意識して撮影しておこう)
那賀町の観光マップがある。[清流と森のナカ]
ここには、「木沢」「木頭」「上那賀」「相生」「鷲敷」が記載されている。ところが郵便番号で調べると、あるのは「木頭」のみである。
    
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