2021.05.15
 
5月13日
ノハナショウブの蕾がわずかに開いた。




5月15日
朝、花が開いていた。







私たちは同じ名の花なら、できるだけ原種に近いものを好んだ。園芸的に展開されていないものを、したがって「地味な」ものをである。最終的には「菊」を愛した。「野菊」だった。那賀川野菊の棲む場所へは、妻と、少なくとも2度は行き、那賀川野菊に面会している。山と溪谷社の『日本の野菊』を手元においていた。そこに記されたそれぞれの野菊が咲く場所へ、行ってみたいと思っていた。菊については、改めてページをつくろう。

伊勢に、野花菖蒲の群生地があった。妻とは何度も伊勢へ行っていた。斎宮へも行ったが、ハナショウブの季節ではなかったようである。私が年男の年、2014年(平成26年)午年、毎年月をずらしてお伊勢参りしようと、妻と決めた。その年は1月、翌年は2月、野花菖蒲の咲く6月は2019年(平成31年)に訪れるはずだった。次の午年2026年、再び1月のお伊勢参りになる。しかし妻と一緒に伊勢参りができたのは、3月までだった。その年(2016年)の8月に、妻は死んでしまった。

2016年(令和元年)6月1日、妻のかわりに娘をつれて、私は伊勢へ行った。(この計画はずっと続けようと思っている)。斎宮野花菖蒲群落を訪ねた。
斎宮駅からタクシーで「野花菖蒲群生地」へ向かった。「花はまだ咲いていませんよ」と運転手に言われた。すこし時季が早かったようだ。「株も、五年ほど前にくらべ、うんと少なくなりました」
調べてみるとハナショウブを含むアヤメ属は「連作障害」を起こすそうだ。群生地には群生地としての手入れが必要なのだろう。それでも昔を知らない私には十分に「群生」と思える広大さで広がっていた。株にはたっぷり蕾がつき、何個かは開いていた。

(2019.06.01 斎宮野花菖蒲群落地)


わが家のは色が少しうすい気がする。横浜時代はもっと濃かったように思うが、私の記憶違いかもしれない。土壌や肥料によるかもしれない。連作障害を避けるには定期的な植えかえも必要らしい。面倒ではあるが大好きな花なので、精一杯世話していきたいと思う。

私がいつも訪ねていたのは明治神宮・御苑の花菖蒲である。あれだけ美しく管理するには、大変な労力(費用)を要するのだろう。明和町の「斎宮野花菖蒲群落」が、衰退することなく、群生が続いていきますように。
次に私が花菖蒲の時季、伊勢を訪れるのは、2031年である。まあうまくいけば実現するかも。


・・・と、ここまで書いて、15時30分(5月17日)、外をみると雨はあがったようだった。16時、散歩のため外に出た。そうするとノハナショウブの、新しい蕾が開いていた。色が濃かった。



15日に咲いたものとは違う場所である。
花の色が濃い。(画像の左下が15日に咲いたもの)



横浜で1回きり野花菖蒲をネットで入手した。鉢で育てていた。それを春日野へ移動した。株分けし植えかえはした。しかし二つは、同じもののはずである。横浜で咲いていたのは濃い色だった。私の記憶に違いはなかった。ではなぜ色が違うのだろうか。土条件の違いしか思いつかない。



左の鉢のものが、15日に咲いた薄色のものである。右のメダカ池に浸かったものが、今日開いた濃色のものだ。土はともに杜若園芸から購入した「田んぼの土」を使った。違いは「鉢」と「池」だけである。根っこのおかれた状態でこのようにかわるのだろうか。
双方にまだ未開の蕾がいっぱいある。観察してみるが、左の鉢から濃い花は、右の池から薄色の花は、出ない気がする。そしてもし根のおかれた状態でこのように違った結果が出るのなら、何とむずかしい、何と楽しい、農家の仕事は未来性を持つものだろう。

(2021.05.20)
今朝も細雨だった。


花菖蒲に小雨は、ふさわしい。アジサイ以上に。

(2021.05.21)
今朝もつゆ空である。降ってはいないが路面は濡れている。
野花菖蒲に2群あって、1つは植木鉢、1つはメダカ池である。場所は隣接している。先に鉢のものが咲いた。私が記憶しているより色がうすかった。3日ほど遅れて池のものが開いた。これは紫に近い紺色だった。私は土地の条件によって花の色がかわるのかと思った。
ところが今朝、植木鉢の群れから立ち上がった花菖蒲の花が開きそうになっており、これはどうやら濃色である。ということは土の条件によって花の色が変わるという私の推定は誤りである。
考えられるのは、園芸店で購入した「野花菖蒲」に、2種類混じっていたということである。色は異なるが花の形状は、私には同じにみえる。

    
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